1月17日は1995年に阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)の発生した日で、SNSでも多くの関連する投稿が見られた。
その中で、私にとって、とても印象的だった知人の書き込み。
あの日、家族で毛布を被り家の外に飛び出した。
怖さと寒さとどちらが優ったのか体中の震えが止まらなかった。
でも、家族で母と私だけがとにかく冷静に淡々と的確に思考が働いていたことを思い出す。
母と私はとにかく、普段は、家族からも太鼓判を押されるほど、呑気でぼーっとしてる頼りにされないポジションなんだけど
びっくりしたのは、日頃とにかく几帳面で厳しい父と、気の強いはずの妹が、とんでもなくパニックになったこと。(知人の了承を得て引用)
そして、最後まで寝ていた弟は、やっぱりいまでもクマのような性格だった。
日常的に、会社や社会で「有能」とされるのは、「父」や「妹」のような人達であろう。
そして、「母」や「私」は、「癒し系」とか「天然」というように、やや「役に立たない」テイストで社会では言われることが多いのではないだろうか。
しかし、この知人の家族のように、災害という「非日常」な事態が発生した際、その「有能さ」は逆転することがある。
もしかしたら何らかの根拠はあるかもしれないが、科学的な背景はわからない。
ただ、いざという時に、生き残るために必要な能力を持った人たちがいるということだ。しかし、「いざという時」なんて、生きている間に、そうそう発生しない。
会社で仕事が出来ないから、誰でも出来ることが出来ないからって、バカにしたり、笑い者にする風潮はないだろうか?
昔は、知的障害がある子供は神様からの授かりものだ、として厄介払いせずに、地域や家族全体で大切にし、養ったという話を聞いたことがある。そういった子供には不思議な力があって、災害を予知することもあったという。もちろんそういう超常的な能力のない子供も沢山いただろう。
今は、地域や家族から、「普通」を外れた人間を排除することが多いのではないだろうか。
人間はそれぞれ違う力や能力を持って生まれてきた。それらが発揮される場面は違う。もしかしたら一生に一度、数回しか使わない能力かもしれない。
共同体としては、様々な能力を持ったメンバーがいた方が、種として生き延びる確率は高くなる。
こういった当たり前のことを、普段は忘れている。自分と違う人を排除したくなる。自分一人で生きている、生きていける、と勘違いしている。
会社で出世する人だけ構成されていたら、その集団は滅びる。
震災を機に、当たり前のことに気づかされた。忘れないようにしたい。

