除夜の鐘

12月26日は、祖母の祥月命日のため

お坊さんに来ていただいて

お経をあげて頂きます。

昔は毎月来ていただいていたけど

最近は、お盆、お彼岸、祥月命日だけになっています。

(子供の頃は、朝早くからお経の声が

うるさいなあ!と思っていましたw)

私が子供の時から、三代のお坊さんを見ています。

最近は私世代のお坊さんが来られていましたが、

今日は久しぶりにご院主さんが来られました。

調べたら、「ご院主さん」というのは、

浄土真宗の呼び方だそうですね。

「住職」の意味。

浄土真宗ではご住職の事をお寺(寺院)の主という意味合いから「ご院主(ごいんじゅ・ごえんじ)」「ご院家(ごいんげ)」などとも呼びます。

(中略)

浄土真宗には戒律の概念が無いので、戒律を授ける僧侶を指す和尚という呼び方は使われず寺院の人間という意味で院家や御院というような呼び方が使用されます。

(参考にしたサイトはこちら

ご院主さんのお経を聴いて育っているので

自然に耳に馴染んでいるのですが

西本願寺で修行をしたという、子供世代の

お経はメロディー?が違っていて、

またがなり声で、説法もつまらなくって

物足りなく感じてました。w

今日は時節柄、除夜の鐘の話になり

ご院主さんのお話によると・・・

お寺の鐘は力を込めて打たなくても、

ただ鐘つき棒から手を離せば

綺麗に鳴るようにできている。

大きい音を出そうとして力を込めて打つほど、

当たるところがズレて良い音が鳴らない。

なるほど。

生き方にも通ずるなあと思いました。

力まず、ありのままに生きていくことで

自分らしさを発揮できるのかもしれない。

外からは何者かもわからないような

他者になろうとするのではなく

自分の中から湧き出てくる感情や

気持ちを大切にして、それらに

正直に生きていこう。

もう一つのお話として・・・

煩悩の一つに「希望」があり、

その一つの為に、除夜の鐘の最後は

日が変わってから打つ、という話がある。

希望があるがために苦しみも生まれるからだそうです。

108の煩悩については

いろんなサイトをチェック。

 「108の煩悩」というのは、こう説明されます。
人間の感覚を司る眼(げん)耳(に)鼻(び)舌(ぜつ)身(しん)意(い)の六つ(これを六根と呼びます)が、それぞれに好(気持ちがよい)悪(不快)平(どちらでもない)の三種があって3×6=18の煩悩となり、これが、また浄(きれい)染(きたない)の二種に分かれ18×2=36の煩悩になり、さらに、過去、現在、未来の三つの時間が関わって、36×3=108となります。これが、108の煩悩だという謂われです。これを鐘の音が淨めて行くという事です。我国では、鐘や鈴の音に浄化作用があるというのは古くから信じられていました。

法善寺のサイトより

なぜ大晦日の夜に梵鐘をつくのでしょうか。それについては、中国由来の陰陽道から生まれた概念で、鬼門封じではないかと言われています。鬼門とは鬼が入りやすい方角で、いわゆる艮(うしとら。丑寅とも書きます)の方角のことですが、時刻や月を表すこともあります。怖い話をする時に「草木も眠る、丑三つ時」といいますよね。丑とは午前1時から3時のことを指し、この2時間を4当分すると丑三つ時は、午前2時から午前2時30分となります。寅は午前3時から5時を指すので、丑寅は方向でいうと北東に当たります。また、これを月に当てはめると12月が丑、1月が寅になるため、時空の中でも12月31から1月1日にかけては鬼門に当てはまるという理由から、大晦日の夜に鬼が入り込まないように梵鐘をつくというわけです。

伝教大師最澄1200年魅力交流 コミュニケーションサイト「いろり」より

一年の間に溜まった煩悩?

心身に溜まった疲労の方がしっくりくるけど、

それらを鐘の音で浄化し、来たる新しい年への

期待や希望を込めて、鐘の音を聞く。

本当に「ゆく年、来る年」へ思いを馳せる

鐘の音だなあと思います。

今日の次に明日が来る、というのは

変わらないのですが、禊の儀式のように

心も体もスッキリして新しい年を迎える

という年末年始は大事な時間。

疫病もすっかり一掃・・となれば嬉しいのですが。。

ともかく、「切り替え」というのは

心身共に良い影響を与える儀式だと思います。

動画は、知恩院の除夜の鐘。

どえらい綺麗な動画を作成されています。

サムネイルのお坊さんも凛々しくて素敵。

みなさま、良いお年をお迎えください。

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