私のブログの書き方

このブログの事ですが、自分の体験とか記録が中心で、人の役にたつ情報発信が出来ていない、と日々思っています。

それでも、「これだけレポートを書けるのは凄い」とか「分かり易くて読み易い」と言っていただく事も多く、私にとっては意外で、でもとても嬉しいです。

ブログを書きたくても、なかなか書けない、続かないという声も耳にするので、私の方法を書き綴ってみようと思います。

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私は努力していない

では、私はどれだけ労力をかけてそれらの記事を書いているのか?ですが、実際は、ほとんど苦労せずに書いています。文章を書く時は、勝手に手が動いている感じです。(もちろん、何度も推敲はします)

それはなぜか?

既にある素材を組み合わせているだけだから。です。

素材を日常的に集めていて、それらが頭の中で熟成してきたら、記事にしてみる、という感じです。なので、とっても他力な感じ。

他力ってどういう事?

それは、素材の記録を私の身体以外のところに頼っている、という事です。ほとんどの人が持っているスマートフォンに任せています。自分ですることを諦めた、とも言えます。

他力の例

例えば、体重を測ったら

体重と体脂肪をメモしていた時期もありました。でも毎日毎日それを転記するのがストレスでした。減る体重も減りません・・
そこで、計測データがスマホのアプリと連動している体重計に変えました。する事は、毎朝アプリを起動して体重計に乗るだけ。ブログに書く時はそのデータを参照するだけ。TANITA のHealthPlanet
そして、スマホの情報と連携できるアプリはとにかく連携させます。体重や歩数などは割と簡単に繋げられます。

例えば、食事記録

とりあえず全て写真に撮ります。ブログ記事にするかどうかは関係ありません。とりあえず撮っておく。そしたら後から何にでも使えるし、何より、何時に食べたか?どこで食べたか?まで全て写真のデータに残ります。ライフログですね。ブログに書く時は、そのデータをもとに、記憶を探るだけ。

例えば、断捨離

今の部屋があまりに汚部屋すぎて吐きそうな時は、取り敢えずその状態を写真に撮っておきます。もちろん、掃除後の綺麗になった部屋と比較するためです。Beforeがある方が、何事も面白いですからね・・・
断捨離についてはAfterが成功していないため、まだ記事が書けそうな兆しはありませんが、明日くらいから着手できそうな気がしています。

酷かったいつかのBefore写真で、モザイクをかけざるを得ない状態

例えば、何かのセミナーな講演会に出た時

資料があったら、資料に受講日付を入れるのは必須として、取り敢えず耳にして、なるほど〜と思ったことはメモします。メモの取り方は上手とはいえません。ただのメモ書き。録音する事もありますが、聞き返すことはほぼありません。覚えていることやメモした事が、その時の私に響いた事なので、それ以外は切り捨ててもOKと割り切ります。

記事にして公開する場合は、企画者と講演者に直接、内容に問題がないかを問い合わせます。もちろんブログにして良いかは事前に確認するのですが、大抵は喜んでくださいます。
ブログに書く事で思い出せて、自分の記憶の定着にもなるので一石二鳥です。

だんこ先生のウォーキング講座の記事を書いた時の受講メモApple iPhone X (4mm, f/1.8, 1/33 sec, ISO32)

その時何を感じたか?

という感情は、記憶が薄れがちです。そういう場合は、Facebookの自分のタイムラインに自分のみもしくは範囲限定の公開設定にして、思ったこと・感じたことを羅列していきます。思いついたら追記していきます。Twitterを使う事もあります。それらを記事にするときに見返す。

下の画像は本を読みながら思ったことをだらだらとFacebookに一人で書き込んでいた記録と、こちらがブログ記事。内容が薄くて恐縮ですが、そのときに何を感じたか忘れがちなので記録って大事です。

Facebookに書き込んだ内容がそのままブログになるとは限らないですが、良いんです。その時々で感じることと書きたいことは違うから。

やっぱり、恥ずかしいです

例えば、上手くいかなかった事。先日のように長期間ファスティングをしてたのに回復食で失敗した話。
公開するのって、以外の何物でもありません。でも、クレームが一番サービス向上に役立つ、と言われているように、失敗から学んだことが一番、自分にも読者にも役に立ちます。なので、恥を忍んで書いて公開します。
段々と自己に関するジョハリの窓も広がっていきますよね。

そして、いずれ成功体験を書くんだ、とモチベーションにします(言い聞かせてますw)。

ジョハリの窓とは

自己には「公開されている自己」(open self) と「隠されている自己」(hidden self) があると共に、「自分は知らないが他人は知っている自己」(blind self) や「誰にも知られていない自己」(unknown self) もあると考えられる。
これらを障子の格子のように図解し、格子をその四角の枠に固定されていないものとして、格子のみ移動しながら考えると、誰にも知られていない自己が小さくなれば、それはフィードバックされているという事であるし、公開された自己が大きくなれば、それは自己開示が進んでいるととる事が出来るだろう。
コミュニケーション心理学や健康心理学などにて頻繁に使用される考え方である。

Wikipediaより

独特かもしれないのは

そういえば・・・
何か出来事に際して、頭の中で記事を書きながら体験していることがありますね。記事の構成とか、こう感じている私、とか。Twitterの呟きを脳内でしながら、体験していることもあり、これは2010年にTwitterにハマってからの病気かもしれません。

世の中のブログを書いているみなさん、どうなんでしょうか?こういう視点ってありますか?

また、今私が目で見ているこの景色や体験、凄い!綺麗!好き!もしくは嫌い!写真撮ってなかったら後で後悔するやつだ!と思ったら、すぐさま写真を撮ります。行き過ぎても、後戻りして写真を撮ります。
ここは、自分の心の声に従っています。「え、ここまできたけど、戻るの?」「どうしようかな、無駄かな?」「やっぱり戻るのやめて、進む?」「いや、やっぱり戻ろう!」なんて自問自答することは日常でも旅先でもよくあります。無駄な行動をたくさんしています。

写真だけでなく、人とのつながりもです。やっぱりあの人と繋がりたい、と思ったら何らかの連絡先を交換します。そのときの情動は直感なので大事にします。間違ってても、そんなに死ぬことはないし、大した恥に繋がりません。笑

私が写真を撮るのが好きで、記録したいという「収集心」という資質を強く持っているからこそのブログの書き方の紹介かもしれませんが、読んでくださっている方に何か参考になれば嬉しいです。

Beforeのみ積み上がっているので、早くAfterの私を公開できるようになりたいです。いや、なる!

ご参考

HealthPlanetアプリ(iOS)

タイムスタンプカメラ(iOS)

Twitterやってます!

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