朝活から考えたこと

今日は朝活の「朝3時の手帳の会」「445の会」に参加しました。

朝3時には起きていないけど、4時半に目覚ましをセットして、4時35分からのシェアタイムに参加、その後、5時40分まで自習して、6時前までのシェアタイムに参加しました。各会の交流会というイベントには参加したことがあったのですが、純粋に朝活として参加できたのは、今日が初めてでした。

自習の時間は各自何をしても良い時間。
私は「今日の朝活に参加したこと」から自分自身について内観をノートに書き綴りました。

満月の昨夜、「手放すリストを書く会」があり、そこで私は物理的な手放しだけでなく、心理的な手放しについてもリスト化しました。
例えば「朝活に出席・参加するのは恥ずかしいという思い込み」を「朝活参加できる・参加したい」と書き換えました。「わたすが朝起きられないという思い込み」を「私は朝早く起きることができる」と書き換えました。他にもたくさんの思い込みがあったので書き換えました。

思い込みは自分が勝手にそういう世界観を作っているだけなので、違う設定をすれば良いんですよね。
分かっていても、自分が納得しない・・・昨日は手書きで文字にして、その後シェアタイムで口に出して人に伝えることができたので「そうだよね、そうそう」と腑に落とせました。

そして、満を持して、朝早起きです。
当然、「朝起きれる」と思っているから、目覚ましが鳴る前に目覚めます。眠い、朝活参加するのは止めようか、という気持ちが去来しましたが、「起きるでしょ」という勢いで、ベッドから離れPC前に移動して、朝3時の手帳の会に参加。でも・・・画面に大きく映れず、引き気味な私がいます。自覚しています。
ボーダー服の人が7人もいて多いね、という話題になりましたが、小さく顔だけしか映っていなかった私は、ボーダー服だったけど、カウントされませんでした。

この後、445の会の自習タイムです。家事をしたり勉強や掃除など、参加者各自がしたいことをする時間で、私はノートに向かって、その時の気持ちを書き出し始めました。

朝起きできた自分を褒めました。えらい!

それは、昨日の朝活で手放ししたからだ、と理由付けします。

でも、さっきの画面に映れなかったと嘆きます。

「あー、あきこさん来てるのね、って人から思われるのが恥ずかしい」という感情に気づきます。

なんで?朝活に限らず「変化すること」に恥ずかしさを感じるみたいです。

すると「変化したい」と思っているのに「変化した私は恥ずかしい」と相反する気持ちがあるのに気づきます。

どちらも否定せずに、私にはこういった両方の気持ちがあるんだね、と受け止めます。

人に見られている=評価
という図式がある事に気付きます。

「変化したい」と力を込めてしまうとしんどい。
前日のセッションで教えてもらったことを思い出します。

実際は、「変化したい」と思った瞬間から「変化が始まっていること」を私は知っています。

人からの評価も気にしなくて大丈夫、と言い聞かせます。

「行動」について
「会いたい人に会いに行く」「行きたい場所へ行く」「したいことをする」は、私にとっては普通のことで、「行動した内に入らない」と感じていました。
「ロンドン行きの飛行機チケットを取ったら、飛行機が勝手に連れて行ってくれる」のと同じ。私は何もしていないので、行動したという実感がありません。呼吸しているのと同じな感覚。
でも人はみんな私のことを「行動的」「行動力がある」「行動できている」と言ってくれます。

「私の気持ちを受け止めるという行動」が私ができていなかったのかも?と気付きます。

「私は私」
何をしてもしなくても大丈夫
誰も見ていない・・・とかじゃない
宇宙や世界やみんなが見てるだけ、そして応援してくれている世界

なーんだ♡そのままでいいんだ♪
好きに生きていいいんだ♡
自分の好きに

思い悩んでいること自体が「とてもちっぽけなこと」
ここまで色々ノートに書いてきたけど、「些細なこと」「当たり前のこと」過ぎて、戸惑いを感じました。

すると、朝起きについて「手放す会で私の思い込みを書き換えたから、早起きできて、朝活参加きた」という気づきに対しても、「それは理由が欲しかった、きっかけにしたかっただけ」と気付きます。わざわざ理由付けしちゃう不器用で可愛い私も見つけますw

会いたい人に会いに行くっていう行動も、私一人が勝手にしたいからそう指定いるだけで、そういう時は自分の中に何も問題(心の不整合?)が発生していない事に気付きます。

誰かの目や声・・・嫌だなと思っている私

私は、親を含めて「自分以外の人の評価」をすごく気にしていた、怖かった・・・

まあ、そういうこともあるよね。

さあ、心地よいことをして行こう♡

内観中のノートより

この内観のことを445の会のシェアタイムで少しお話ししました。その頃には、画面には私もちゃんと大きく映れていて、発言をする事も抵抗ありませんでした。
会のみんなも画面上で反応して喜んでくれて、「あきちゃんが起きれてるのがすごい!!!」「あきこさん、やったね〜💕」「3月にCITTAカフェに来てくれた、あの行動力!!半端ないからねーーーー!あきこちゃん、すごいよーーーー!」と言ったメッセージも送ってくれました。


わぁ、う、嬉しい。なんだか照れる。恥ずかしい。こういう照れ臭いものに直面したくなかったという気持ちも多少ありましたね。淡々とやり過ごしたい。本当は嬉しいのにね。

私は何かをするプロセスは表に出す必要はなく、見て見て!っていうのはしたくない。
「子供っぽい」事に対する抵抗、「しっかり」「お姉さんらしく」「**あるべし」という固定概念や価値観・・

そういうものが「自分の気持ちと向き合う事」から私を遠ざけていたのかもしれません。

朝早く起きるのが出来なかったのが出来た!っていう話ではなくて、自分の気持ちに向き合う事ができ出しました。

自分が自分の世界を作る。
そのためには自分の内側(自分の反応、嬉しい悲しいといった気持ち、五感など)を感じる事。その一瞬一瞬の気付きを大事にしよう。

自信や勇気は不要です。
もう既に、私は**な存在です。「**だ」と決めるだけ。


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